松原上市があった。
今日は地元の自治会で、"松原上市"があった。場所は松原上公民館と、その横のコンビニ駐車場。
子供会主催のくじ引きや、手作り餅菓子・採れたて野菜の即売とか、ちょっとしたフリマとか、福引き抽選会とか。
自治会単位レベルの小さな"市"だが、毎年けっこうな人手だ、今年も。
去年は無かったと思うけど、ステージにアトラクションもあったりして。
近所にアコーディオンを弾く人がいたんだな~と。
今日は地元の自治会で、"松原上市"があった。場所は松原上公民館と、その横のコンビニ駐車場。
子供会主催のくじ引きや、手作り餅菓子・採れたて野菜の即売とか、ちょっとしたフリマとか、福引き抽選会とか。
自治会単位レベルの小さな"市"だが、毎年けっこうな人手だ、今年も。
去年は無かったと思うけど、ステージにアトラクションもあったりして。
近所にアコーディオンを弾く人がいたんだな~と。
東市来を通りかかり、たまったま発見した「東郷茂徳記念館」。
「東郷茂徳って、鹿児島出身だったんだ!」と初めて知り、入ってみた。それにしても、こんなにすごい人の孫だったのか、東郷和彦は…。
東郷和彦?
去年「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」という本を読んだ。2002年だったか、当時外務省の親玉と言われていた鈴木宗男が収賄容疑で逮捕されて、その宗男の元で暗躍していたと言われるノンキャリア外交官/佐藤優(←彼がラスプーチン)が書いた内幕本だ。
なんでこの本を読んだかというと、たまたま「国策捜査」という言葉に関心が湧いて、その言葉をメジャーにしたきっかけとなった事件の当事者が書いた本ということで買ってみた。
この本で、「東郷和彦」は佐藤優の上司かつ超超優秀なエリート外交官として登場するが、東郷和彦の親もエリート外交官の「東郷文彦」、そしてその親つまり和彦の祖父が「東郷茂徳」で彼も外交官・外相ということも書かれており、つまりはこの本で初めて東郷茂徳を知った。でも名前以上のことは知らなかった。
記念館の入り口で200円を払うと、白黒印刷の資料をもらえた。その資料には東郷茂徳の経歴が簡単に書かれていて、先祖は島津義弘が強制的に連れてきた朝鮮人陶工とのこと。優れた陶工として財をなした茂徳の父が、明治の時代に東郷姓の"士族株"を購入するまでは、朴という姓だった。
なんか日本に恨みを抱きそうなもんだけど、すごい勉強をして外相まで上り詰め、真に日本の国益を考えて、ナチス・ドイツとの同盟や戦争に反対、さらには戦争終結に奔走した人らしい。
いやー、鹿児島はまだまだ知らないことが埋もれてるな~と。
飲み水が無くなったので、「大出の水」まで水をくみに行った。
一見、「どうなんだろう…」と不安になる手書きの看板ではあるけど。
水が湧くところには、簡単な一本の足場があるだけ。
そして川の源としての役割を果たすべく、その湧き水は下流に向かう。
「きっといつかは…」と思っていた近所の歴史国道~白銀坂(しらかねざか)を登ってみた。この辺りの幹線道路と言えば今は国道10号線だが、明治以前で言えばこの険しい白銀坂を含めた大口筋と言われる街道がメインだったらしい。
まずは10時20分、白銀坂入り口にて。
「行く!」と言ってきかないので、やむを得ず子ども二人も同行。もちろんまだ元気いっぱい。
白銀坂はこの入り口から吉田町に抜ける約3kmの険しい道のりだ。石畳になっているが、幼稚園の子どもにはその段差も半端じゃない。
絶対におんぶをしない…という約束だったので、なっかなか前に進めない。
ここが800m地点の休憩所、11時20分頃。
疲れてベンチに横たわるうちの子ども…。今日は結局ここで引き返すことにした。やっぱり終点までは届かなかった。
この踏破へのチャレンジは次回に持ち越しとなった。。。
ドンッ!という衝撃波とともに、久々に噴煙が上がった。
今朝通勤途中の、鹿児島市役所を通り過ぎたローソンの前で、ビジネスマン風の人に「空港行きのバス停はどこですか?」と訊ねられた。町中で人にものを尋ねられるのはかなり久しぶりで、一昨年春の「ネクタイの結び方を教えてください。」以来の約2年半ぶりだ。
「ああ、空港行きですね。バス停はあっちですよ。」と天文館の方向を指差したが、そのビジネスマンは「でもリッチモンドホテルで『道路を渡って右の方にあります。』って言われたんですよ。」とのこと。この時点で、バス停の場所について急速に自信がなくなっていき、「あ、そうなんですか…。じゃ私の勘違いですね。」となって、結局「すみません。」と謝ってその場を立ち去らざるをえなかった。空港行きのバスに乗ったことがないしな…。
でも観光都市を標榜する鹿児島市内に勤務する者としては、とても恥ずかしい時間だった。
なので、とりあえず空港バスバス停について調べてみると、南国交通バスのホームページに地図があった。あ~やっぱり市役所前にもバス停があったんだ…。ちゃんと覚えておこう。ちなみに空港バスの時刻表は鹿児島空港のホームページにも詳しく載っていた。
それにしてもホテル側でも地図くらい渡せばいいのに。
鹿児島駅にこんな派手な市電が停まっていた。
そろそろおはら祭なんだ。
2005年から2年ぶりで稲刈りの手伝いに行った。
現場に到着して田んぼを見ると、かなーりぬかるんでいるではないか…。田んぼに入ってみると、ふくらはぎまで沈み込む。先週、近所の「職人の店」で買った「自力」ブランドの地下足袋を履いてはいるが、それでも一歩一歩がかなりの重労働だ。
しかもあまりにもぬかるみが深いので、稲刈り機がうまく動かず、たんぼの3分の1くらいの稲は手で刈ることになった。田んぼ持ち主も途方に暮れる。
鎌で稲を刈り、わらで稲の束を括り、干す…を繰り返す繰り返す。
「昔はみんなこうだった。」と笑い飛ばす元気な婆ちゃんがある意味フシギだ、本当に頭が下がる。
でもなんだかんだで、夕方5時前にはビニール掛けまでの作業が終わった。これからはいつもの温泉と晩酌だ。明日は筋肉痛か。
でも田んぼの持ち主は明日は普通に仕事に行くらしいので、これはきつそうだ。
それにしても、"手伝い"という気楽な立場だからまだいいけど、専業農家とかは大変だろうな。もちろんもっと機械化されているのだろうけど。ただでさえ、気候・植物という不確定な要素に立ち向かわなければいけないのだから、農作業それ自体の合理化を徹底しないと、とても「産業」としてなりたたないな。これは。
毎年の恒例行事、地元・松原上自治会の納涼夏祭りがあった。
引っ越してきてから3回目の夏祭りだが、こんなに人が居るもんなんだなあと思うほどの、毎回かなりのにぎわいだ。自治会主催の祭なので、きっとそれほどの予算があるわけでもなく、祭のメインステージに上がる人たちは松原上の人たちばかりだ。それにしても、歌に踊りに、民謡・演歌からロックまで、芸達者な人が多い。
また、去年も出現した、黒タイツに身を包んだ、ひと昔前の悪者も登場した。
今年は赤・青・黄の3色ほどの正義の味方もいた。きっといずれの衣装も自腹だと思われるが、いつも唐突に現れる感じで、祭に登場する意味・脈絡は全く分からない…。「せっかく持ってるんだから使わないと!」的な感じだろうか。実際子どもにはウケているが、次回の父親委員で悪者の中身の人に経緯を聞いてみようか。
そしてステージの最高潮は、松原上まむし太鼓だ。
いろんなイベントで見るけど、子どもたちの一生懸命さと、演じることの楽しさが、ひしひしと伝わってくる。よく近くの公民館で練習している音が聞こえてくるので、けっこう大変なんだと思うけど。すごい。
このお祭り、もちろんエンタメ的な面白さは少ないけど、いつも「ここに住んで良かったなあ。」を実感させてくれるお祭りだ。
今日、建昌小学校の父親委員懇親会があった。
うう。飲み過ぎた。。。
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